位置共有SNSと「人間を中心に置かないコミュニティ設計」


以前のブログ記事で物理的な距離の重要さ「オンラインサロンと位置情報SNS」というものを書きました。

自分の目の前にある開発とかソフトウェアのことを考えていると苦しくなってくるので、

実行するかも分からない遠い目標を頭に浮かべることで、現実逃避をしながら生きています。

 

位置共有SNSというのは、個人的にすごく熱い分野の何かだと考えています。

そう考える理由の1つに、「位置情報を中心に人間が集まれば、人間を中心に集まる必要がなくなるから」という理由があるように思います。

私は、FacebookやTwitterがあまり得意でもないし、好きでもありません。

そこには、お世話になった人や尊敬する人などもいますが、SNSの設計自体が好きではないのです。

SNSへのアンチテーゼとして広まった「オンラインサロン」なども、基本的にはあまり好きではありません。

 

なぜSNSやオンラインサロンが好きになれないのか、その理由の1つが恐らく、「人間を中心として集まっているから」

ということなのかもしれません。

 

私がインターネットを本格的に始めたのは、2006年頃、高校を中退して親にPCを買ってもらってからでした。

その頃の日本のインターネットの中心地は、主に2ちゃんねる掲示板だったように思います。

2ちゃんねるの良いところは、基本的に全員「匿名である」というところにありました。

 

匿名だと、どんなに偉い人が文章を書こうが、指摘の内容がおかしければ正しく批判をされます。

どんなに弱者だろうが、内容が受け入れられれば受け入れられます。

一方で、SNS中心の社会になってからは「有名人であるかどうか」が重視されるようになってきました。

 

例えば、Twitterで有名な人が「おはよー」とつぶやいただけで、何千もいいねが付いたりします。

フォロワー0人の人が「おはよー」とつぶやいても0いいねです。

こういう平和な事例は微笑ましいのですが、もっと難しい問題についてツイートしたときにも、やはり「有名であるかどうか」が重視されてしまったりすることもあります。これは正直よくないと思っています。

 

堀江貴文氏のように、300万人もフォロワーがいる人が「この餃子屋はクソだ」と一言つぶやけば、その内容が本当か嘘かに関わらず、堀氏のフォロワーが餃子屋を攻撃しに行ったりしてしまいます。

 

オンラインサロンなども、結局、人間を中心にして集まっているから同じことなのではないでしょうか。

堀江貴文氏のオンラインサロンであれば、堀江氏を中心にサロンメンバーが集まっているので、全く同じ問題があると思います。

 

しかし、位置情報を使って、「近くに住んでいる人」と繋がるような場合には、そのような問題は起きにくいのではないかと考えています。

さらに、位置情報を使って、「自分の名前を表示しないような匿名のSNS」を作れば、フォローシステムを使うことなく、「わざわざコミュニティを選んで入る」という作業をしなくても、自然とコミュニティの中に入っていくことができるのではないでしょうか。

 

人間というのは、生きているだけでも自然と何らかのコミュニティに属しているわけなのですが、そのうちの1つが「地域」というコミュニティです。オンラインサロンみたいに、自分から能動的に選ぶコミュニティとは違って、元から属しているコミュニティをオンライン化するだけなので、抵抗なく受け入れられるかもしれません。

 

もちろん、人間を中心に集まるコミュニティも選べた方がよいとは思うのですが、人間を中心としないコミュニティもあった方がよいだろうと思うわけです。少なくとも、2023年時点では人間を中心としたようなコミュニティが多すぎるように感じています。

 

私は、東京に上京して17年程度が経ちましたが、当時憧れていた東京が若干勢いをなくし、インターネットの発展と共に「日本全国、ネットさえあればどこも同じ」という風潮になってしまったことに少し寂しさを感じています。

大きな街であれば、そこには沢山人が集まっているのに、どこに住んでも同じとなるとそれは寂しい。

そこに行かないと会えない人、そこに行けないと読めない文章、そこに行かないと見られない景色、そういったものも大事にしていきたい。

 

そういう意味でも、近所の人とだけ繋がれるような匿名SNSがいつか出てきたらどんな感じになるのかな、と妄想を膨らませています。

 

田舎の方に行くと人口密度が低すぎるので、半径50㎞の人の情報を表示するなど、表示範囲の調整などは人口比に合わせて設計していく必要があるかと思います。